状況
Pさんは仕事で知り合った女性と交際を開始したのですが、交際開始から約4か月が経過した頃、その女性から妊娠した事実を告げられました。
妊娠の事実を知ったPさんは、自身の行動の責任を取るべく女性と結婚することを決意し、女性と一緒に結婚指輪を買いに行くなどしました。
しかし、結婚指輪を購入した翌日、Pさんは、女性から流産した旨の連絡を受けました。
Pさんは驚きつつも女性を必死に慰め、子供は流産してしまったものの予定どおり結婚することになりました。
Pさんは、女性の勧めもあり結婚準備としてマンションを購入したり、入籍予定日を相談するなどしていたのですが、次第に関係性が悪化し交際解消の話合いを頻繁に行うようになりました。
そんな中、女性が再度妊娠していることが判明したことから、Pさんと女性は生まれてくる子供のことを考え女性との関係性を修復しようとしたのですが、最終的にはやはり交際を解消することになりました。
交際解消後しばらくして、Pさんは女性から婚約破棄を理由とする慰謝料請求訴訟を提起されました。
裁判への対応に困ったPさんは、当事務所に裁判対応や慰謝料の減免等をご依頼されました。
弁護士の活動
1 当初の主張
裁判の中で、弁護士は、①婚約が確定的には成立していなかった、②仮に婚約が成立していたとしても、双方が別れ話を繰り返した末に交際を解消しているのであるからPさんが婚約を不当に解消したとはいえず損害賠償義務を負わない、との主張を行いました。
2 調査嘱託の申立て
また、Pさんは覚えていなかったのですが、SNSのやり取り上、女性が当初の妊娠について他人には言わないようにPさんに口止めしていたこと、当初の妊娠後に女性が飲酒していたこと、結婚指輪を購入した翌日に女性はPさんに流産した旨を伝えていたことがわかりました。
上記事実を受け、弁護士は女性が当初妊娠していなかったのではないかとの疑問を持ち、女性が受診したという産婦人科に対する調査嘱託の申立てを行いました。
そして、その結果、女性が実際には当初妊娠していなかったことを明らかにすることができました。
3 主張の追加
調査嘱託の結果を受け、弁護士は、③仮に婚約が成立していたとしても当該婚約の基礎となった女性の妊娠という事実が存在しなかったことから、婚約は錯誤取消し(民法第95条)により遡及的に無効である旨の主張を追加しました。
4 結論
上記主張の後、裁判所から婚約の有効性及び婚約解消の不当性のいずれについても認めがたいとの心証が示されました。
その結果、Pさんが女性に解決金として5万円を支払うとの内容で和解することができました(交際解消後に女性がPさんの子供を出産した事実を考慮した解決になります。)。
ポイント
1 婚約の成立の認定
裁判例上、「婚約とは、将来婚姻をしようとする旨の男女間の合意をいい、その効果として、当事者は、互いに誠意をもって交際し、やがて夫婦共同体を成立させるよう努める義務を負うことになると解されるところ、婚約成立の認定に際しては、両者が、上記のような婚約者の義務を負うような社会的実体を営んでいたと推認させる事情の有無が重要になるものといえる。」(東京地判平成30年2月27日(平成28年(ワ)第8068号・平成29年(ワ)第24095号))とされています。
具体的には、結婚の申込みや承諾の有無、同居した事実の有無、婚約指輪を贈った事実の有無、婚約指輪や結納に関する話をした事実の有無、婚姻届を提出する時期について話し合った事実の有無、一緒に結婚式場を探した事実の有無、親族へ紹介した事実の有無、避妊せずに性行為を行った事実の有無等を考慮した上、結婚を前提とした付き合いの域を出ており、「互いに婚姻の約束を履行する義務が生じる程度に確定的な意味において婚約が成立するに至っていた」(東京地判平成26年7月25日(平成25年(ワ)第18889号)参照)といえる場合に婚約の成立が認められる傾向にあります。
本件では、明示的に結婚の約束をした上、結婚指輪を贈った事実があり、同居に向けてマンションを購入した事実等があったことから、裁判所の判決では婚約の成立が認められる可能性が低くなかった事案であると考えられます。
2 婚約破棄(不当解消)
婚約解消を理由とする慰謝料請求が認められるには、婚約が正当な理由なく一方的に破棄されたということが必要です。
そのため、最終的に当事者の一方の提案により婚約解消に至ったという場合でも、それ以前に関係性が悪化し婚約解消の話合いを重ねていたとき(一方的に婚約を破棄したとはいえない場合)や婚約を破棄される側に帰責性がある場合(婚約破棄に正当な理由がある場合)には婚約破棄を理由とする慰謝料請求が認められないことになります。
3 婚約の錯誤取消し
婚約について錯誤取消しが可能かどうかについて、以下のとおり裁判例の判断は分かれている状況です。
しかし、仮に婚約について民法の錯誤の規定の適用を認めない②の裁判例を前提にした場合でも、錯誤取消しが認められるような事情が存在する場合には「婚約破棄の正当な事情」が認められる場合が多いと考えられます。
そのため、本件のように女性が実際には妊娠していなかったにもかかわらず妊娠した旨を告げたことで結婚する約束をするに至ったという場合、錯誤取消しにより婚約が無効となるか、仮に錯誤取消しができないことを前提にしても婚約解消につき正当な理由があると判断され、損害賠償義務が否定される可能性が高いといえます。
※掲載中の解決事例は、当事務所で御依頼をお受けした事例及び当事務所に所属する弁護士が過去に取り扱った事例となります。